提供元:涙が出るほどいい話
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/healing/1186599218/
Ksyu090525


1:さくら餅2:2007/08/09(木) 03:53:38 ID:ZijlFJdS

1 :さくら餅 :04/03/11 16:34
実体験はもちろんテレビや本などで知った話、
涙が出るほどじゃなくても、ジーンとくる話、ほんわか話等
聞かせてちょ。


11:癒されたい名無しさん:2007/09/10(月) 05:49:05 ID:6Nk2fFEt

私の話です。

私は両親が教師の娘で姉と妹がいます。
高校三年の時、私は家族とケンカが多くて
学校でも学校が嫌いで、授業をさぼる友達といました。学校から家に連絡される事も多くて
余計家にいたくなくなり毎日のように外泊して
親のいない昼間に帰っては出てました。

しばらくして冬になり
学校で 窃盗したと言われ(友達数名と)もめて警察沙汰になりました。



12:癒されたい名無しさん:2007/09/10(月) 05:58:38 ID:6Nk2fFEt

そして朝から警察署にいき
夜の八時におわりました

お父さんが迎えに来ていて 殴られると思ったのですが、「長い時間大丈夫だったか。」としんぱいしてくれました。

帰りの車で「お父さん正月に実家に帰った時夢をみた。二ヶ月前に亡くなった叔父がでてきて、○○○の事をよくみてあげなさい」と言われた。

すぐに○○○に電話したけど、家にいなかったみたいで言えなかった。ごめんねって言われた。


私は家にいたが、その頃一週間に一度会うぐらいで会っても無視してたし、わざわざ実家からお父さんが電話するなんてめったになかったから、怒られると思い、妹にいないと言わせた。

その事を聞いたとき初めて親の前であんなに泣いた。
そんな私も関西から東京にでて半年。

19の今親のありがたさがわかります。


15:癒されたい名無しさん:2007/09/29(土) 04:56:26 ID:nmJVZ+xA

60 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2005/07/27(水) 01:03:56 ID:rQ5rXScq
俺が知ってる一番すばらしい言葉は
「わたしは元気だよ」

今も心に刺さって抜けませんが、
数年前の事です。
母が癌になり入院しました。
その際、一緒の部屋になった女性は年齢的には中学生でした。
無菌室で話し相手のいなかった母にはその小さな友達との出会いは
闘病生活の大きな支えになったそうです。
その少女は辛い治療に耐え、「元気になったら学校に行く」と
母に何度も話していたそうです。
最初は頻繁に訪れていた友達ももう来なくなり
面会に来ても不安そうに気遣う両親に少女は
「わたしは元気だよ」
いつもそう微笑んでいたそうです。


18:癒されたい名無しさん:2007/09/30(日) 00:11:02 ID:7Lqy2a2o

18 名前:*りぃ*[] 投稿日:2006/08/27(日) 19:24:11 ID:biJ0DTQG
母親がりぃが高校受験失敗したトキに泣いてくれた・・・
「今までよくがんばったね」って

20 名前:癒されたい名無しさん[] 投稿日:2006/08/27(日) 21:12:27 ID:6rH5OkXr
母親だけだ。
高校受かった時と大学受かった時。
この二回。「良かったなぁ、良かった、良かった」って大泣きしてた。
他人では33年生きてきて、まだ一人もいないな。


20:癒されたい名無しさん:2007/11/16(金) 21:25:35 ID:lNQs6Djq

33 名前:ぱくぱく名無しさん[sage] 投稿日:04/08/17(火) 03:02

ちょうどこの時期だったな。
祖母の家に遊びに行こうとして車で高速に乗った時だった。
親父が「食べろ」とある物を俺に渡した。
それは食パンにマーガリンを塗り塩を振った物。
もちろん砂糖と間違えたのだが、甘いと思って齧った俺は
一口齧って…わせdrftgyふじこlp(←うまくでました)
俺は激怒して親父にきつくあたったな。
親父はゴメンゴメンと過ってたっけ。
今思えば息子の俺に喜んで貰おうと早起きして作ってくれたのだろうけど。
子供の頃の俺はそんな思い遣りに気が付く事もなくムクれてたっけ。
ごめんよ親父。
滅多に作らなかったけど、親父は料理が上手だった。
小学校の卒業式の日に親父が作ってくれた夕食は今でも憶えている。
不味かったのは塩パンだけだったなぁ。

お盆なので墓前に砂糖パンでも供えに行きたい所だけど、
お寺で食べ物のお供えは禁止されてるのが残念だ。


22:癒されたい名無しさん:2007/11/17(土) 01:59:44 ID:1xi2Q2fI

田舎の単線の電車に乗った時のこと。

2両しかない電車で、乗客は中学や高校の学生ばかりだった。
電車にのった瞬間、騒いだ声が聞こえてきた。
椅子に寝そべっている奴。
つり革にゴリラのようにぶら下がった奴。
ケンカ寸前のじゃれあいをしている奴。
ケバイ化粧をしている女の子。
床に座り込んでパンを食べてる奴…

みんなが大声で、話していて
音漏れのひどいヘッドホンからのシャカシャカ音が
そこらじゅうからしていた。
俺は、しばらくの辛抱 と思って端っこに立っていた。

その時、腰の曲がったおばあさんが入ってきた。

俺は、それ以降 起こったことが信じられなかった。
椅子に寝そべってた奴、ケンカ寸前のじゃれあいをしていた奴が
いっせいに椅子から立ち上がって、おばあさんに席を譲ろうとした。
それまでの喧騒がピタッと止まった。

おばあさんは、
「ありがとうさん」と言いながらチョコンと席に座った。
おばあさんの近くにいる学生は、小声で話し始めた。

尻が見えるほどズボンをズラした奴が、
「ちょっと!静かにせえや!」と友達に言っていた。

見た目はすごいけど、お年寄りをいたわる気持ちを持ってくれていて
すごく嬉しかった。


23:癒されたい名無しさん:2007/11/17(土) 02:47:36 ID:OwARmhLN

高校の頃はあんま気の合う仲間がいないというか、
俺が勝手に避けてただけなのか知らんけど、友達はあんまいなく、
居場所なんてどこにもなかった。
そんな人間でも大学には入れるんだね。そこでのサークルの話。
入部のきっかけは簡単。ウザイ先輩のウザイ勧誘があまりにしつこかった。
人間嫌いに陥っていた俺は絶対に入りたくなかった。
勧誘文句も「大学で新しいことしようよ!」とか、「一緒に青春しよう!!」
とか、ホントうっとうしかった。でもヘタレだから結局断りきれず入部。


24:癒されたい名無しさん:2007/11/17(土) 02:54:21 ID:OwARmhLN

入部してからも先輩のウザさは変わらなかった。
ってか下手だった。勘弁して欲しい。家に帰ったらメールきてカラオケ
とか苦手なのにつれてかれるし。麻雀まで覚えさせられるし。
だらしない生活ばっかさせられる。気付いたら、ほぼ毎日そのウザイ先輩
と過ごしていた。
そんなこんなで3年目、先輩は一個上なので4年になって間もない頃だ。

亡くなった。交通事故。「なんで!?」って思った。その瞬間、泣き崩れた。
失って初めてわかるって、こういうことだったんだ。
思い出してみると、その先輩は初めて俺に居場所をくれて、ウザイけどめっちゃ
あったかい人って気付いた。俺が人間関係苦手って感づいて接してくれていたんだもん。
てか、振り返ったら思い出のほとんどに先輩がいた。
結構無愛想な感じで接してたのに、笑顔絶やさないタフで優しい人だった。
それなのになんで!?って思った。


25:癒されたい名無しさん:2007/11/17(土) 02:56:05 ID:OwARmhLN

葬儀からしばらく時間がたち、そんな悲しみを忘れかけた頃、
その先輩の(もし生きていたら)引退試合を迎えた。
ほとんど防戦一方で、明らかに相手ペースで、もうだめかなぁって思った。
先輩の引退なのになぁって。見られてたらどうしようとか思った。
ふとボールをもったら、相手と1対1の局面になった。ちょっと弱気になって
パス出そうとした、その時。

「行けっ!!」っていう声が聞こえた。

ハッと気付いた俺は、迷わずゴールに向かって走り、ショットをゴールに叩きこんでやった。
今までの感謝の思い全部込めて。止められる気がしなかった。入るに決まってるって感じた。
俺と先輩2人分のショットだもん。
泣きそうになりながら打ったショットは、ゴールに突き刺さりました。
試合には結局負けたけど、あの声は一生忘れない。
ありがとうございました。お疲れ様でした。失礼します。


28:癒されたい名無しさん:2008/02/20(水) 06:20:37 ID:QVNBA8RJ

何かで見た話

物心ついた時からずっと一緒だった猫が病気になった。

いつものように私が名前を呼んでも、腕のなかに飛び込んで来る元気もなくなり、お医者さんにも「もう永
くはない」と告げられた。

「今は悲しむよりも最期までこの子のそばにいよう」私がそう決心して間もなく猫は家から消えた。
家中捜しても見当たらない。

父は「猫は死ぬ間際、自分の死に場所を探しに旅に出るっていうからねきっとあの子も死期を悟って自分に合った場所を探しに出かけたんだよ。」と慰めるように言ったが当然私は受け入れられず、町中名前を呼びながら捜し回った。
 
途中頭を過るあの子との思い出に涙が溢れても、転んで足を擦り剥いてもひたすら名前を呼びながら捜し回った。

やがて日も暮れ、
母に「一度家に戻ろう」
と言われ戻ったとき、庭の向こうから私以上にボロボロになり、泥だらけになったあの子の姿がこちらに近づいてきた。
 
涙で霞む目を何度も擦って確認したが間違えなくうちの猫だった。
 
枯れた声で名前を呼ぶとフラつきながらも精一杯の力で私の腕のなかに飛び込んで来てくれた。
 
どれくらい経っただろう。
やがてこの子は私の腕のなかで眠るように息を引き取った。
「この子は我が家で暮らしてきて幸せだったのかもしれないな」と父が言ったとき、しだけ悲しさが嬉しさに変わった。

私もそう思えた。
 
この子は最期も私の腕のなかを選んでくれたから


30:癒されたい名無しさん:2008/02/24(日) 10:55:07 ID:0khh/hP+

祖父が死んで、もう12年になる。 
幼い頃から「蛍は死んだ人の魂だから、粗末に扱うな」と祖父に教えられてきた。 
 
去年の8月15日の夜、父と俺とで家族総出の花火大会の後始末をしてた。 
二人きりでいると死んだ祖父の話になって、「爺さん、帰って来てるかな」と話したその時。 
目の前を過ぎる小さな光が。 
それを見て、父と俺は呆気に取られた。 
蛍が一匹、瞬きながら俺達の頭上を飛び回り、家の屋根を行ったり来たり。 
「爺さんが帰って来たんだ」 
どちらともなくつぶやいたら、蛍は真っ直ぐ天に向かって飛び上がり、星の瞬きの中に消えた。 
 
父いわく、63年生きて来てこの時期に蛍を見たのは初めてだとの事。 
あれは間違いなく祖父だったと、俺と父は信じている。 
 


33:癒されたい名無しさん:2008/03/13(木) 10:48:41 ID:X4GXiYs7

最近結婚して、二人で役所に行ったときのこと。
4歳くらいの男の子と2~3歳くらいの女の子の兄弟が、
親の用事がすむまで待つように言われていたらしい。
でも女の子はあっちこっちに行きたがって、兄ちゃんらしい男の子は
困っていたけど、絶対に女の子の服のはしを握って離さなかった。
そのうち女の子はうざったいのか、泣き出して兄ちゃんに文句を
言って手を振り切ろうとしたけど、兄ちゃんも半泣きになりながらも
手は離さなかった。親が迎えに来たとき、ホっとした男の子の顔が忘れられんです。

そのまま大人になってくれと強く願うとともに俺もこんな子に育てて見たいwwwwww
と思った。


34:癒されたい名無しさん:2008/03/13(木) 21:06:19 ID:8YOuxJsf

>>33
兄ちゃん、妹の結婚式で誰より先に泣きそうだwww


35:癒されたい名無しさん:2008/03/19(水) 12:16:56 ID:LR5qA3HX

俺が惚れた子の話をします。

俺はもう既に40歳前を迎えた毒男だ。
当然ながら独身で、彼女も5年近く居ない。
そんな俺が去年の5月頃に友人に誘われ、ゴルフを始めた。
ゴルフなんてつまらないだろうと思っていたが、意外と面白かった。
少し興味を持った俺は練習場によく行く様になった。

そこである女の子と知り合った。
凄く美人で品のある子だった。
俺が見る限り、まだ26歳位だと思った。

俺はその子を初めて見た時に、なんて美人な子なんだろうと思った。
と同時に、あの子は若くしてゴルフをしているなんて余程の金持ちか、
何処かのお嬢さんなんだろうと思った。

あの日から、彼女が気になりゴルフ目当てではなく練習場に行く様になった。
彼女にはたまに逢えたが、臆病な俺は何も話掛けられなかった。
その生活が1ヶ月続いた頃だろうか、俺は勇気を振り絞って彼女に声を掛けた。

「こんばんは」と一言。
すると彼女はビックリした様な顔をして、俺に「こんばんは」と言った。
とても可愛らしい笑顔だった。
それから練習場で逢う度に、俺は少しながら声を掛けた。
もう完璧に彼女に惹かれていたんだ。

風が強い雨の日、ナイター練習でも俺は練習場に足を運んだ。
すると、いつもは混んでいる練習場なのに彼女1人しか居なかった。
俺は勇気を出して、彼女に携帯番号とアドレスを聞いた。
すると、彼女は可愛い笑顔で俺に教えてくれた。
俺はたまらなく嬉しくって、毎日彼女にメールをした。

俺が仕事休みの日曜、彼女も暇だと言うので2人でドライブに出掛けた。
俺は恥ずかしいながら、彼女の顔も見れなくて。
それでもただ、彼女と会話できるだけで嬉しかった。

彼女の事を色々聞いた。
今まで付き合った恋人の話や、趣味の話など沢山話してくれた。
だが、家族の話は嫌がってしなかった。

それから何日か経った後、俺は彼女を幸せにしたいと本気で思い、
彼女に告白をした。
彼女は泣きながら、「ありがとう」と言い付き合った。


36:癒されたい名無しさん:2008/03/19(水) 12:34:56 ID:LR5qA3HX

35>>続き。

それから彼女と沢山の場所へ行き、沢山の思い出が出来た。
だが、彼女は自宅を俺に教えてはくれなかったと同時に家族の話は決してしなかった。
それで何度も口論になった事もあった。

彼女と付き合い出し、1年2ヶ月が経った時だ。
彼女から別れて欲しいと連絡が来た。
俺は何事だから分からなくなり、話し合おうと言ったが、
彼女は別れるの一点張りだった。
俺は身を引いた。
彼女を思い出し、毎晩泣き明かした。
滅多に飲まない酒も毎晩飲み明かした。

仕事が休みの日、友人の家に遊びに言った時の事だ。
友人の家の近くには、一家の極道の自宅と事務所があるのは俺も前々から知っていた。
その家を通り過ぎ、友人家へ行こうとした所の交差点だった。
俺は何をした事か、一時停止を無視して進んでしまったのだ。
運悪く、接触事故になり、相手の車はそこの極道の車だった。

事故を起こしたと同時に、運転手が出てきた。
俺は殺されると思った。土下座して謝った。
すると、後部座席の方から「兄ちゃん、何処見てんのや」と女性の声がした。
顔を上げて見て見ると、彼女だった。
髪を上にあげ、着物姿の彼女だった。

俺は訳が分からなくなり、その場で倒れそのまま病院に運ばれた。

目を覚ますと、いつもの彼女が居た。
俺には何も理解出来なかった。
病室に俺と彼女と2人きりになった。久々に話した。

彼女は言った。
「うち、来春に結婚すんねや。本当は結婚したくないんや」

彼女は本当は4代目の娘で、父親が決めた男と結婚させられるそうだった。
俺を巻き込んで、危険な事はさせたくなかったらしい。
彼女は最後に言った。

あんたは幸せになってや。うちは死ぬまであんたを忘れんからな…
もし、あんたが良かったら…来世は結婚してや。

彼女は病室を出て行った。
俺は泣いた。彼女を愛していた。
俺は3日後に無事退院した。

彼女の事は一生忘れない。


40:癒されたい名無しさん:2008/04/29(火) 11:17:24 ID:w9MlFAH5

就職活動で気分が落ち込み鬱(正確な鬱の定義はわからないけど)状態になった。
 
一人で電車乗ったり説明会行ったり面接受けたりしている間はまだ気が紛れてよかった。
でも一人になると変なことばっかり考えて夜眠るのが怖く、一人で長時間お風呂に入れなくなった。
 
家に閉じこもり気味になりお風呂にも入れない。
一人でじっとできない。
シャワーでさっさとすます。
満足に洗えない。
カラスの行水状態。
何度もお風呂に出たり入ったりしてやっと体洗う。
シャンプーする。
リンスする。
義務感だけ。
本当お風呂なんて入りたくなかった。
就職活動もやめたかった。
さすがに家族が私がおかしいことに気付いた。
妹がじゃあ一緒にお風呂に入ろうって言ってくれた。
お風呂がすごく楽しい時間になった。
もう何年も一緒になんか入ってなかったのにさ。
私のことあんま好きじゃないはずなのに。
なんもしてないお姉ちゃんだしさ。
だめだしさ。
いっつも文句ばっかり口ばっかりだし。
就職一つまともに決められないし。
お姉ちゃんまだ決まらないけど就職、決まったら何でも好きなもん買ってあげるし。
だからもうちょっと甘えさせてください。
あんたがいるから頑張れる。

本当にありがとう。


45:癒されたい名無しさん:2008/07/02(水) 02:17:23 ID:IeZraYF7

中日ドラゴンズ 落合監督

終盤接戦でドラゴンズリード

守備固めでヒデノリ投入

あろうことか、その守備固めのヒデノリが凡フライを
まさかの落球タイムリーエラー。それが原因でドラゴンズの負け

試合終了後、報道陣から「ヒデノリのエラーについては?」と
聞かれた落合監督は一言、

「あいつが捕れなきゃ、他の誰でも捕れないさ。」

マジ泣いた。


46:癒されたい名無しさん:2008/07/07(月) 00:49:39 ID:/aU0j9GQ

この間俺の誕生日だったんだが・・・その日もバイトだったんだな。

んで友達からもそこそこおめでとうメールは届くが彼女はいないのでプレゼントとかもパーティ的なものは当然無い。

俺のやってるバイトというのがレストランとバーを合わせたような店で夜は飲み会宴会の類も頻繁に行われていた。
その日の客は特に始末が悪かった。一気飲みやら大騒ぎするやらゲロ吐くやらで俺は最悪の誕生日を過ごしていた。

ようやくシフト時間も終わり、厨房でタイムカード押してあがろうとした時、どこからともなく店長が厨房へホールケーキを持って現れた。
俺はその時酷く疲れていたので自分の誕生日の事なんかすっかり忘れて「ああ、客に今日誕生日の奴がいるんだな」等と考えていると・・・

「ハッピーバースデー!トゥユー♪」と歌いだした。
俺はわけが分からず(゜Д゜)ポカーンな状態。

すると店長の歌に合わせるように続々とスタッフが厨房に集合。集まってきたスタッフ全員で「ハッピーバースデー♪○○君♪」と歌いだした。
俺はその時ようやく自分の誕生日を思い出し、感動して俺号泣。

ケーキは店の隅でおいしく頂き、一人では食べきれないので店の女性スタッフに「仕事終わったらどうぞ皆さんで召し上がって下さい」と言ってケーキを冷蔵庫にしまい、店を後にした。

いつも怒られてばかりだが・・・もっと頑張ろうと心に誓った日だった。


54:癒されたい名無しさん:2008/07/30(水) 07:52:57 ID:S97dabot

昔聞いた話。
ある夫婦に一人っ子の娘がいました。
夫婦は中小企業のオーナー社長なので結構裕福な暮らしだったそうです。
ところが、娘が高校生になった時、夫婦の会社が倒産してしまいました。
結局、家族は全てを失って、家も引越して新しく仕事も探して転職しました。
新しい職業と言っても夫婦でリヤカーを引いて廃品回収をして生活費
を稼ぐのがやっとです。
ある時、夫婦がいつもの様にリヤカーを押していると、下校途中で同級生と一緒にいる娘と
ばったり出会ってしまいました。
夫婦は娘に気を使って知らんふりをしていましたが、娘の方が近づいてきて、
同級生に向かって、「これが私の両親だよ」とにこやかに同級生に言いました。
そのうえ、夫婦と一緒にリヤカーを押してくれたそうです。
夫婦は涙が止まらなかったそうです。


57:癒されたい名無しさん:2008/11/07(金) 00:23:58 ID:xIAYMb5e

私が小学生の頃遊園地に鏡の迷路があって、入口に父親を残し一人でそこに入ったら見事に迷った。
周りは鏡だらけで暗く、どこを見ても自分しか映らない環境に大泣きして怖くて怖くて堪らなかった。
そこに偶然現れた高校生ぐらいの兄ちゃん達。
泣いてる私の肩に手を置いて、一緒に出口まで歩いてくれましたね。
大丈夫だよ泣くな。と声をかけてくれて、置かれた手の温かさに安心した記憶が今でも心に残っています。
あの時は泣いたままでお礼さえ言えなかった。
だから遅くなったけど今言わせてください。ありがとう。

私、大学生になったよ。
貴方達みたいな優しい人になれるよう頑張るよ。


59:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:42:32 ID:sDvEt6tv

133 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:38:43 ID:TheFhTkI
『今までありがとう』

「今までありがとう…」
県大会の準々決勝で敗北した後、ロッカールームで監督は僕らにそう言った。

いつもは厳しい監督のその言葉に、僕たちは驚いた。普段は一切感情を表に出さない人だったからだ。
試合に負けて号泣する僕らを見守りながら、監督は遂にラグビー以外の言葉を僕らにかけてきたのだ。

僕らは泣くのを止めた。ハッとして監督の方を向いた。
窓から差し込む夕陽で朱に染まったロッカールームが静寂に包まれる。
そんな中で女子マネージャーのすすり泣く声だけがかすかに響く。

監督はもう一度僕たちを眺め回した。
一人ひとりの目をしっかり見据えて、僕たちの心の中を掬い取るようにジッと見つめてくる。

普段だったら絶対に目を合わせられないほど怖いのだが、今日は違った。
真っ直ぐ見つめる監督の視線に、真正面から堂々と答えた。縋るのではなく、頼るのでもない。

全てを出し切り、堂々と戦った僕らにはやましいところなど何も無い。
監督に対し、今は一人前の男として対峙できる、それが今の僕らだった。
最後の学年の、たった数試合…それだけの経験でも、我々は少年から大人になったのだ。

今日で最後…今日がみんなと一緒に戦う最後の日だ。

かつて初戦敗退の常連であったしがない県立高校のラグビー部員である僕らは、遂に準々決勝にまでたどり着いた。
そして今日、そこで県きっての強豪校と真正面からぶつかり、華々しく散華したのだ。

堂々とぶつかり、挫けることなく、逃げることもなく戦った末に…。

悔しかった、これで終わりだと思うと悲しかった。
だがチームメイトの誰もが逃げずに戦ったことが、何時しか僕らの中で誇りとなっていた。

だが今は、時にはその厳格な指導に怒り、憎みさえしたその監督の目を、堂々と見返すことができた。
尊敬と、感謝の念を持って、逃げることも無く正々堂々と。

監督は僕らの姿を見て、納得したように少し微笑んだ。
最後にもう一度、監督は僕ら全員に向かって言った。

「キミ達は今日まで良く戦った。今までありがとう…」
それが監督の姿を見た最後の日だった。


60:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:43:48 ID:sDvEt6tv

134 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:39:42 ID:TheFhTkI

…取引先から帰社して直ぐに、事務の女子社員から電話があったことを知らされた。
電話を掛けてきたのは高校時代の同級生、牧村だった。

僕は自分のデスクに着くと、直ぐに受話器を手に取り牧村に連絡をとった。
数回のコールで牧村は出た。何か忙しい物音が響く中、牧村は挨拶もそこそこに言った。

「…監督が亡くなったぞ」
監督の名前を聞くのは久しぶりだった。

あまりに唐突にその名前を耳にしたため一瞬混乱した。
一度、「誰が?」と牧村に聞き返してしまったほどだ。

それほど高校時代は遠くなっていたのだ。

精密機器メーカーの営業職に就職し、日々多くの仕事に忙殺される毎日。
もはや高校時代の思い出は、遠き夢の話のように非現実的な出来事になっていた。

牧村の話を聞きながら、僕は電話口で呆然としてしまった。
目の前の納品スケジュール表を意味も無く見つめながら、僕の想いは一気に高校時代に引き戻された。

…ラグビー部の仲間達とグラウンドで泥まみれになって楕円のボールを追いかけて走り続けたあの日々。

監督はグラウンドの隅で、厳しい目で僕たちの汗を流す姿を見守っていた。
怠慢なプレイに対しては容赦なく檄が飛び、常に勇敢さとチャレンジ精神を奨励し続けた。

決して広くない県立高校のグラウンドで、夕陽を浴びて駆け抜ける僕ら。
酷暑の夏も、北風吹き荒ぶ真冬でも、いつもグラウンドの隅から僕らを見つめ続けた監督。

汗と泥の匂いが、僕の中で甦っていた…。

「…おい、聴いているのか?」
電話口で牧村が言った。僕ははっとして我に返った。

「…あ、ああスマン。あまりに突然のことでショックを受けてしまって」
僕はハッとし、あわてて牧村にそう言い訳した。
そして通夜が今晩行われること、葬儀は明後日に監督の自宅で催されることを聞き、電話を切った。

――監督の死。

終業時間が迫りあわただしくなった会社のオフィスで僕は、窓の外の沈む夕日をジッと見続けていた。


61:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:44:47 ID:sDvEt6tv

135 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:41:46 ID:TheFhTkI

監督は僕たちが3年生部員として試合に出場したのを最後に我々の通った高校の監督の座を辞した。
ラグビー指導者としてキャリアを閉じるため、監督自身の故郷である隣の岡山県の田舎にある高校に移籍したのだ。

僕らが部活を引退することとなったあの日の試合が監督と会う最後の日だったのだ。
監督はあの試合後、事務整理などを済ますと直ぐに引き払ってしまった。

少し冷たい、初めはそう思った。

監督の家庭の事情が逼迫していたということは、後に顧問の教師に告げられた。
老いた母親の介護の必要もあり、大会終了後には監督を辞して引っ越す予定であったと。

監督はその後、赴任した岡山県の高校を県内のそれなりの強豪に育てあげ、それを最後に監督業を引退したという。

僕は大学に進学した後、そうした監督の噂は耳にしていた。
だが何時しか社会に出て仕事に追われるようになるにつれ、かつての泥まみれの青春時代を振り返らなくなっていた。

あれから10年。

もう、それだけの時間が経過してしまったことに僕は驚いていた。


62:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:46:12 ID:sDvEt6tv

136 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:45:17 ID:TheFhTkI

「…よう内藤、お前少し頭が薄くなったんじゃないか?」
僕は牧村、それと川村と千葉の4人で岡山県の監督の実家に辿り着いた。
門前でキャプテンだった内藤が僕たち東京組を出迎えてくれた。

内藤は地元の老舗旅館の御曹司であり、今はそこで役員をしている。
ちなみに妻は高校当時マネージャーをやっていた靖子だ。

「うるせえなっ!いずれお前らも抜けてくるぞ!」
内藤は薄くなった頭頂部を手で覆い隠しながら少し笑った。

このようにかつてのラグビー部員同士が会うのは久しぶりであった。
故郷ではないこの地で、このような機会に再開するのは不思議な感じだが、とにかく懐かしさでいっぱいだった。

「で、俺達の代は何人くらい来るんだ?」
僕は内藤に尋ねた。内藤は懐から手帳を取り出すと、

「えっと、真田と遠藤は少し遅れる。貝塚も、来てるのは三原と谷口と原。他はさすがに無理らしい…みんな仕事あるし」
と、軽く苦笑いしながら言う。

「オレたちだってしてるぜ?」
牧村はそう言い返した。途端、みんなでクスクス笑った。
それが不謹慎だと気付き、何とか笑いを抑える。

「結局、全員集まるのは無理だったか…」
高校時代、チーム一の俊足ウイングだった千葉が言う。
彼はその後に建築を志し、現在は中堅の建設会社に務めている。

「まあ、そう言うなよ。とりあえず記帳を済ませろ。それから監督に会って来いよ」
内藤にそう言われ、僕らは順に記帳を済ませ、家の中に入った。

家は地元の古くからの農家らしく、母屋の他に東屋や穀倉がある広いものだった。
中庭の隅には白黒のブチの雑種犬が鎖につながれたまま眠っていた。

僕らは母屋へ向かって歩いた。

玄関に入ると近隣の農家の人達やラグビー関係者らしき人たちが客間に集っていた。
意外にも大人数であった。監督は人望あったんだな、と改めて思った。
集った関係者たちは、おのおのなにやら雑談をしながら仕出し弁当をつまんだりビールをあおったりしている。

僕らは何気に一礼して部屋を通り抜け、監督が眠る居間へと向かった。


63:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:47:47 ID:sDvEt6tv

137 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:48:19 ID:TheFhTkI

「父の教え子の方々ですね?」
呼び止められて僕らは立ち止まった。

声のする方へと振り返った。そこには監督に良く似た初老の男性が立ってお辞儀をしていた。

僕らは振り返り礼をし、おのおの簡単な自己紹介をした。
男性はやはり監督の息子さんで、今回の葬儀の喪主を務めているという。

「…広島の高校の方でしたか。そうですか。わざわざ遠いところを有り難うございます。」
監督の息子さんは僕らに丁寧にお辞儀をした。

「では、父に会ってやってください」
そう言って息子さんは僕らを居間へ入るように促してくれた。僕らは廊下を抜け、祭壇のある居間に入った。

遺影は相変わらずの強面であった。が、僕らの高校の監督であった頃に比べ少し老け、白髪も増えていた。
何故かカメラ目線ではなく僕らの左後方をジッと睨みつけるように写されている、かなり変わった遺影だった。

真正面から睨みつけられたら、結構怖いもんな、と僕はそのとき思った。

一方でお棺の中の監督の面は青白く、完全に精気を失って目を閉じていた。
引き締まった表情しか思い出に無かったせいか、その死に顔には少し胸が疼いた。

僕らは遺影の前に正座し、順に焼香をして手を合わせた。


64:癒されたい名無しさん:2008/11/13(木) 00:49:24 ID:sDvEt6tv

138 名前: 創る名無しに見る名無し [sage] 投稿日: 2008/11/08(土) 18:49:36 ID:TheFhTkI

葬儀の会場を辞した後、かつてのラグビー部仲間数人で岡山市に出た。
夕食を兼ねて駅近くの小料理店に入り酒を飲む。弔い酒だ。

…何時しか酒に酔いしれた僕らの心は、いつの間にか高校時代のグラウンドに飛んでいた。

西日が照りつけるグラウンドで楕円のボールを追いかけていたあの日々。
甲高い叫び声を上げてチームメイトに向けてタックルを仕掛け、モールからボールを出してはまた走る。

時折監督が鋭くホイッスルを鳴らしてプレイを止める。
各選手たちに必要な指示を次々に伝え、息つく間も無く再び開始のホイッスルが響く。

僕らは無我夢中でボールを追いかけ走った。
膝は擦り剥け、筋肉は悲鳴を上げる。

決して楽な練習ではなかったが、なんの迷いも無く一心不乱に物事に立ち向かったのはあの日々が最後だった。

そして何時の間に僕らは鍛えられていた。
たとえ敵わない相手であっても勇敢に立ち向かえる強さを身につけていた。

そう、監督との最後の試合…あの時僕らは負けた。
しかしチームメイトの誰もが逃げず、倒れても倒れても立ち上がり、ボールに向かって駆け出した。

「今までありがとう」
監督はあの日の試合の後、ロッカールームで僕らに言った。
あの時もまばゆいばかりの夕日が窓から照りつけていた。

僕らは監督の前で散々泣いた。
泣きながら監督の目を見つめた。

そんな僕らに監督はもう一度「ありがとう」と言った。

何故、監督が僕らにそう言ったのか、あの時は分からなかったが、今なら分かる。
監督も僕らと戦っていたじゃないか、共に戦い抜いた戦友に感謝するのは当然じゃないか。

そして今度は僕らが言う。
「監督、今までありがとう」(了)


71:癒されたい名無しさん:2009/02/22(日) 23:06:41 ID:zPjGRuIq

今さっき、母親からメールがきたんだけど、それが自分的に不覚にもジーンときてしまったのでかかせてください。

うちの母親はリウマチ持ちなんだけど、6~7年前から結構ひどくなってきたので
少しでも家事の負担を減らせればってことで、食器洗い機を買った。
うちは結構洗い物の量が多かったから、たぶん他のうちよりも食器洗い機を酷使してたと思う。
そのせいもあってか、2~3か月前から食器洗い機の調子が悪くなってきていて
電源は入るんだけど、スタートボタンを押しても反応がなかったり、って症状が出てた。
母親は、(食器洗い機の)機嫌が良さそうな時を見計らって、一気に仕事してもらうようにしてた。

そんな感じで、ここ最近はだましだまし使う日が続いてた。
この3日間、母親が、自分の実家に祖母を通院させるために帰省してたんだけど
さっきうちに帰ってきて、また食器洗い機のボタンを押したらしいんだ。
ちょうど機嫌が良かったらしくて、無事動き出したらしいんだけど、
それから10分くらいした時、突然「ピーーーーッ」と長い音が一度鳴って、
母親が慌てて食器洗い機を見に行ってみたら、食器洗い機は完全に止まって
もう電源ボタンを押しても電源が入らなくなってたらしい。

単なる偶然かもしれないんだけど、母親が家を空けてる間、壊れずに待っててくれたのかなって思った。
その話を送ってきたあと、母親から、「ばいばいいうてくれたみたい  私帰るの待って 涙出たよ」
ってメールが来て、こちらまでジーンとしてしまった。
母親は結構物を躊躇なく捨てるタイプなので、そんなこと言うと思わなかったから。

長くなってごめん。読んでくれた人ありがとう。


85:癒されたい名無しさん:2009/10/25(日) 07:32:41 ID:oZhXJtQt

私にとってはいい話。

私ちょっと性格がひねくれてる。弱さを見せたくないから、強がりで、気も強い。もちろん弱音も吐けない。
それが悪かったんだよね、
学校では先生に嫌がらせされて
歯を食いしばっていたものの辛くて。
母親は他界して父親は帰ってこなくて姉は多重人格やからパニック障害やから大変でさ。
ある日、もういっぱいいっぱいになったんだろうね、学校の帰り道でさ思ったんだ。
うまくいかないことばっかで
「もういいかな」って。
17年間自分は周りのひとよりも頑張っただろう。って。これ以上悲しむ必要ないだろってね。

ただ悔しくて悔しくて涙が出るんだよ。
悲しいよりも悔しくて。
もうなにが悔しいのかわからないぐらいなのにさ。
電車の中で声を押し殺して泣いてた。
そしたらおばあちゃんがハンカチと飴ちゃんをくれたんだ。
「あなたは笑ってた方が可愛いよ」って、微笑んでくれた。
電車から降りたら降っていた雨が止んでてさ、
もうちょっと頑張りたくなったんだ。

来年の春、大学生になる。
なんだかんだで踏ん張って前見て生きれてる。

おばあちゃんが居なかったら
あの飴ちゃんがなかったら、
私たぶん消えてたかもしれない。


ありがとう。


92:癒されたい名無しさん:2010/02/15(月) 22:34:03 ID:hk5dO/uL

506 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 22:14:04 0
すき焼きが苦手と書いて思い出した。30年以上前の事。

中学の修学旅行で行った京都のホテルでの夕食が、すき焼きだった。
匂いだけでもダメなので、フロア自体にいられず、1Fフロントまで降りて
ソファでしょんぼりしていたら、仲居さんが「どうしたの?」と声をかけてくれた。

事情を話したら、仲居さんの休憩室のようなところにそっと呼ばれ
おにぎりと香の物と、お肉を軽く塩胡椒で炒めたものと小さいサラダを
用意してくれた(肉自体は大好き)。

思いがけない事に、泣きながらお礼を言って食べた。
「先生やお友達には内緒ね」と笑った、あの仲居さんはお元気だろうか。


94:癒されたい名無しさん:2010/03/12(金) 23:35:27 ID:vPxhHU6Q

417 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2010/03/12(金) 22:59:39
事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が。
夏休みに法事で東京へ来た。
「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」と言うと
頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら
「だって高いから」とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。
「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。

首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子は
まだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときの
その子の驚きと感動の歓声が忘れられない

持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、
5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。


95:癒されたい名無しさん:2010/03/16(火) 00:12:46 ID:iOxqwD5b

子供の頃、親に連れられ地元で有名なラーメン屋に行ったときのこと

息子であろう人がパジャマ姿の母親をおぶって店に入ってきた
きっと、自分で歩けない母親に食べさせたかったのだろう
美味しいと評判のラーメンを

当時は何かみっともないと思ったが、
今、大人になってあの人の大きさが分かった


98:癒されたい名無しさん:2010/06/05(土) 18:51:58 ID:JfBNamZk

先生の生徒に対する暴力の教育が有った時代の話し

俺が中学の頃、体育でリレーがあったんだが
男子一組五人の五組ほどで走る事になった、そりゃ走るの速い奴もいれば遅い奴もいる訳で、50メートルのタイムでどの組も同じ位になるように編成されたんだわ
 
どの組も同じ位になるはずが、ある一組の一人が転倒した
 
勿論それによりその組の順位は最下位ほぼ決定
それでもその組のみんなは一生懸命走った

アンカーを除いて・・

アンカーの奴は最下位確定とわかるや否や途中で走るのを諦めてダラダラと駆け足をしだした

そいつがゴールした瞬間、体育教師の拳がそいつに向かって飛んだ

体育教師がそこで一言

最下位とわかろうがお前以外の奴は一生懸命走っとんじゃ!結果がどうであれ、そいつらの気持ちを踏みにじるな!!

その教師は口が悪くみんなから嫌われていて、俺も嫌いだったが、その時だけは感動した

やっぱ人間決めるときには決めんといかんわ


99:癒されたい名無しさん:2010/07/17(土) 02:52:47 ID:zDCWvSlf

学校の帰り道
最寄り駅に到着して改札を出ようとしたら、
改札前で小さな女の子がお母さんにすっごい怒られてた。
なんで怒られてたのかはわかんなかったんだけど、お母さんの怒り方が尋常じゃなかった
泣いている子供に、
「あ~、もうむかつく。なんで泣き止まないの?うるさいからはやく泣き止めよ!!」
みたいな事をめちゃめちゃ怒鳴りながらその子供に向かって言ってた
もちろん子供は泣き止む訳も無く、ただひたすら泣き叫んでいた。
どんな悪い事したのか知らないけど、こりゃさすがにやりすぎだしかわいそうだろう、とか思いながらも関わるのが面倒くさいなーとか思って
通り過ぎようとしたら
そこにたまたまいた障害を持った人が急にその親の前に走っていって
「やめろよ!!!かわいそうじゃないか!!」
ってその人に怒鳴った
俺もまわりにいた人もびっくりした
そしたらその親が
「うるさいなあ、あんたみたいな障害者の馬鹿に何がわかんだよ!!」
ってその人に向かって言った
それで俺がプツンとキレてしまい
「なんだよそれ!!!お前自分が何言ってんのかわかってんのか!?この人に謝れよ!!!大体そんな怒鳴り散らして子供が泣き止むわけねえだろ、アホ!!!!」
とその親に向かって怒鳴った。
その親は何も言い返さず、謝罪もしないままその場を立ち去った。

あーもうなんて人間だ、あいつは、、、あの娘がかわいそうだなあ
とか思いながらかえろうとしたら

周りにいた人達が俺に向かって拍手をしていた。
俺はびっくりして足を止めてしまった
そしたら障害者の方が僕の所にきて、
ぎゅっと僕の手を握りながら
「ありがとう、、、ありがとう、、、!」
って何回も言ってくれた。
僕は軽く頭を下げてその場を離れた
普段あんま人の前に出て行くとかしないから
すっごく照れくさかったし、恥ずかしかった
でも、悪い気は全然しなかった


100:癒されたい名無しさん:2010/07/22(木) 16:49:43 ID:gyZmLeBP

たった今あった話。
電車内の優先席で必死に化粧している汚らしい身なりのブスがいた。
俺はそのブスを見て「どんなに顔を作り上げても結局ブス。中身もブスなんだから止めとけよw」っと心の中で思っていたんだ。

するとおじいさんが車内に入ってきた。
その瞬間そのブスは速攻で立ち上がり「どうぞ、座ってください」と笑顔でおじいさんに席を譲ってあげたのを見た。

その行動に周りの婆さんはニコニコして「あなた一見そうはみえないけど、しっかりした良い子ねぇ」と誉めていた

俺はその清々しブスを心の中で馬鹿にしていた自分の方がよっぽど腐った根暗ブスだと気づいて涙がでた。


良いことしてるとブスでも可愛いくみえるんだと気づいた


103:癒されたい名無しさん:2010/09/05(日) 19:30:16 ID:PUfWzIdr

何年前だっけ。

当時ニートで仕事を探すこともなく、現実逃避も兼ねて、1泊程度のドライブに行ってた頃があった。
あれはお盆の頃、例のごとく車を走らせ自宅から400km程離れた場所から帰宅している途中、いきなり、車のエラーランプがついた。
当時JAFにも入ってなかったが、何処かのガソスタorディーラーで診てもらえばいいだろう、と甘い考えで診てもらったんだが、結局直らず、山道でとうとう、車が故障し、動かなくなってしまった。
しかも、携帯は電池切れ。

もう、どうすることも出来なかった。

人目もはばからず、道行く車に助けを求めると、快く、車を安全な場所に移動させてくれた。

だがやはり、夏の暑い日、発汗が多くなり、脱水症状が出始めた。
そこで、再び、道行く車に助けを求めた。
今になって時間を説明するが、一応、故障して停車している場所は国道だが、夜11時、さすがに車通りが少ない。

手を振ってると、止まってくれた、その人は地元の人らしく、深夜にも関わらず近くの自販機まで乗せてってくれ、しかも、修理工にも連絡してくれた。

夜が明け、翌日早朝5時ごろ、修理工が来てくれ車を買った自販店を呼んでレッカーした方が良いとアドバイスされ、連絡まで取ってくれた。
 
しかもその修理工の家で朝食まで。

うちの親もさすがにこれには感謝ばかりだったな。
あれから、半年後、就職出来てます。


107:癒されたい名無しさん:2010/10/16(土) 02:34:24 ID:jbhHQV5u

2年前の話

大学は地方で一人暮らしだった
夏休みにはいり、バイクにのって高速道路に入った。
っが、1キロもしないうちにマフラーから煙がでてアクセルまわしても加速しなくなって、脇に止めて高速道路においてある電話BOXで電話した。

いくら掛かかるかわからなかったので値段聞いたら「呼んだだけで3万円」・・・
まぁJAFに入ってればこんなにはかかんないんだけどね。

っで、JAF来て高速からおりてバイク見てもらったけど直らず、バイク屋に持っていくことに。
よく覚えてないけど、1キロで1千円かかるようなこと言われた。
その場で払う制度なのでヤバ!と思いながら移動。このとき所持金3万くらい・・・
 
運転中にJAFの人が「友達か家族でJAF入ってる人いない?」と、
「入ってる人がいたらその人の名義でやってあげる」って言われた。
 
よっしゃ!って思って連絡しじゃくったけど誰も入ってなった。
 
仕方なく「大丈夫です」といってバイク屋に到着。
たぶん計4万くらいいってたと思う。
 
っで、「運転士さん」とJAFの人に呼ばれていくと
「16000円です」。
やす!と思って訳をきくと、その人の友達の名義でやってくれたらしい。

だから、移動料金のみ。

助かったと言う気持ちとJAFの人の暖かさで超お礼言った。

JAFは入ったほうがいい。

文章へたでスマソ


111::2011/01/19(水) 13:58:47 ID:zyt6xuV7

彼女には親がいなかった。
物心ついたときには施設にいた。
親が生きてるのか死んでるのかもわからない。
グレたりもせず、普通に育って普通に生きていた。

彼女には同じ施設に恋人がいた。
3つ年上で、幼い頃からずっと一緒に育ってきた恋人だった。
結婚の約束もした、彼女の唯一の家族だった。

そんな彼女と彼がデートの帰りに事故にあった。
トラックに突っ込まれて、トラックの運転手と彼は即死。
彼女は右脚の腿から下と、右半身の感覚を失った。

その後の彼女は茫然自失だった。
何もやる気が起きなかった。
病院の中では死ぬことすら出来なかった。

彼女は死ぬ気でリハビリをした。
病院の中では死ねない。
死ぬためには動けるようにならなければならない。
文字通りの死ぬ気だった。
彼女の心はうしろに前向きだった。

血反吐を吐くようなリハビリの末、彼女はまた一人で生活できるようになった。
義足の扱いにも慣れた。
右腕も多少は動く。
その日突然、今しかないと思い立ち、駅へ向かった。

死ぬなら電車にしよう。
電車なら確実に死ねる。
賠償を求められても、私には求める遺族なんていやしない。

お気に入りのワンピースで駅へ向かった。
彼が一番好きで、デートのたびにそれを着させられ、ヘビーローテーションしていたワンピースだ。
義足が目に触れることを嫌って事故以来一度も着ていなかったが、彼に会うならこの服しかない。


112::2011/01/19(水) 14:00:16 ID:zyt6xuV7

駅で入場用の切符を買おうとしていると、小銭を落としてしまった。
右半身の感覚の薄い彼女は、「しゃがみこむ」という動作が一番苦手だった。
仕方なしに拾おうとすると、落とした100円玉をすっと拾う手があった。
年配の男性だった。

小さな声で「ありがとう」と呟くと、男性は言った。
「3年ほど前に、○○駅で貴女と、一緒にいた男性に助けて頂きました」と。
何のことだかわからない彼女に、男性はふと目線をうしろにやった。

目線の先には、年配の女性が車椅子に乗って微笑んでいた。

ああ、駅の階段で難儀していた夫婦を彼と一緒に手伝ったことがあったなぁ。
いつも車で移動していたふたりが、珍しく電車に乗ったデートだった。
彼は優しかった。
いつでも、誰にでも優しかった。

彼女が彼を思い出していると、車椅子の女性が近付いてきて言った。

「しんどいわねぇ・・・でも貴女には明日があるのよ」

その瞬間、彼女は号泣した。
男性にしがみつくようにして、彼がいなくなってから一滴も流すことのなかった涙を絞り尽くした。


113::2011/01/19(水) 14:01:48 ID:zyt6xuV7

それから2年、彼女は年配夫婦の養子に迎えられることになった。
「これからは飛び込まれたらかなわないわね」
「うちに請求がきちゃうからなぁ~」
夫婦はニヤニヤと彼女に言い、彼女は「もうしないよ」と困ったように笑う。
「老後の面倒みてもらわにゃな~」と、父は言う。
「その代わり、あたし達死んだら保険金がっつり貰えるよ!やったね!」と母は言う。
「じゃあ保険金のためにがんばりますか」と、彼女は私に微笑む。

施設から、子供の出来ないこの夫婦の家に養子に迎えられた私は、ハタチを過ぎてからできた素敵な姉がいる。

両親にも姉にも長生きして欲しい。


118:癒されたい名無しさん:2011/03/10(木) 19:40:12.22 ID:grzSoX7j

涙が出るほどってもんじゃないけど
私は四年前大学に入学してからの数カ月、元々第六志望くらいの大学しか入れなかった上、あんまり社交的な性格じゃないもんで軽く鬱状態で大学通ってた。
ある日傘を持ってないのに帰り道雨に降られてしまった。
あーもうやだ死にたい…って思いながら濡れながら道歩いてたら、後ろから歩いてきたちょっと体育会系のお兄ちゃんたちの中の一人が「これ、使って!」とビニ傘差し出してきた。

私がちょっとためらいながら受け取った後、その人はずんずん前に歩いて行っちゃってて、お礼を言う暇もなかった。

後ろから、その人がちょっと照れてて仲間たちに冷やかされてるのが分かってきゅんとしたw

まぁこう書いてても私は普通にモテない女だけど、今も鮮明に覚えてるくらい嬉しかったな。

あのお兄さん元気かな。
いいところに就職したんだろうな。

さわやかだったし、なんとなくw


119:癒されたい名無しさん:2011/03/17(木) 12:14:32.22 ID:WnVQrHln

東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。
難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。

福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に まれた夜を迎えた。

 「早く逃げてください」--。
街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。

多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。
同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。
 
娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。
助かったのは10人。
庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)
『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。
もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は
「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。
 
停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。
高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。
車を降りて避難所の階段を上がった。
 
遠藤さんもたまたま避難していた。

芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。
「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。


120:癒されたい名無しさん:2011/03/27(日) 20:47:26.90 ID:a1rW9HUy

津波で家ごと流された岩手県大船渡市の会社役員、金野健一郎さん(37)は、たんすにつかまり大船渡湾を漂っているところを小型船に助けられた。

船長の男性は、名前や住所を頑として名乗らなかった。
金野さんは「船長の恩は一生忘れない。落ち着いたら捜して、もう一度お礼を言いたい」と話している。

地震が起きた11日、金野さんは公民館にいったん避難したが、スーツから着替えるために港から約300メートルのところにある自宅に引き返した。
2階の窓から外を見ると、「真っ黒な波が渦を巻いて迫ってきた」。

みるみるうちに2階まで浸水。倒れて浮いていたたんすの背に必死にしがみついた。
そのまま天井まで約30センチのところまで浮き上がると、「バキバキ」と音をたてて家が回転し、突然、大きな衝撃音と共に屋根が吹き飛び視界が開けた。
たんすの上に乗ったまま沖に向かって流されていた。

日が暮れ始めたころ、「多賀丸」という船名の小型船が通った。
「助けてくれー」と叫んだが、コンテナや民家、木とあらゆるものが海に漂っており、「無理だ」という船長の声が聞こえた。
「このまま沖に流されたら終わりだ」と絶望的になった。

 だが約1時間後、多賀丸は引き返し、ロープを使って救助してくれた。
「信じられない。助かった」。涙をボロボロと流し、何度も「ありがとうございます」と繰り返すと、船長はただ黙ってうなずいていた。

 そのまま一晩を船上で過ごした金野さん。夜は一睡もできず、落ち込んでいた。
「命があるだけでいいんだ」「またやり直せばいい」。船長は金野さんを励ましてくれた。

 12日夕、金野さんは別の漁船に移り、大船渡湾の東側に上陸。
数時間歩いて公民館にたどり着き、避難していた家族3人と抱き合い無事を喜んだ。
「助かったのは奇跡。家族と頑張って、一から生きていきたい」


122:癒されたい名無しさん:2011/05/31(火) 12:34:12.54 ID:/wMeNdyk

2004年、俺はとあるコンビニでバイトをしていた
近くの高校のDQN数人がたまり場に使っており、駐車場は散らかすわ、原付はふかすわ、長時間座り読みするわ
もう辟易としてた 店長が良く怒鳴りつけてたが、次の日になるとまた現れる

その日の夕方、客は白い杖をついたおばさんと、付き添っている小学2年くらいの女の子、DQN2人
不意に大きな揺れが起こり、地震だ!と店長が叫び、俺はとっさにレジ裏の菓子折が倒れてくるのを防ぐことしかできなかった
 
ふと見ると、DQN2人がおばさんと女の子へ駆け寄り、ガラス戸から離れるよう肩を抱いて誘導していた

揺れはすぐに収まり、幸いけが人は出なかった
おばさんと女の子はDQNに何度もお礼を言い、帰って行った
店長「おう、なんだ、お前らいいとこあるじゃねーか、ありがとな..」というとDQNはなんか恥ずかしそうにモジモジしてた

そのあと、二人は散乱た商品の片付けを手伝ってくれた
店長は礼に、とパンとコーヒーをおごってた

その後もやつらはうちの店をたまり場にしていたが、ゴミを散らかしたり、迷惑な立ち読み等はしなくなった
 
それでも、駐車場にたまられては迷惑、とのことで店長は裏の自宅の駐車場を貸してたw
 
そのうち、引きこもりがちだった店長の一人息子(中学生)と仲良くなったみたいで、一緒にパワプロとかしてた
店長は悪いことを教えられるんじゃないかと心配そうだったが、徐々に社交性を取り戻していく息子の姿を見てうれしそうだった

たばこだけは絶対禁じてたけど

やがて、DQNたちは高校を卒業し、それぞれの道を歩んだようだ
一人は地元の大学に進学し、一時期うちのコンビニでバイトしていた
 
店長の息子は、高校進学を決め、地元でも有名なヤンキーの先輩を持つ男として、一目おかれながら学校へ復帰したようだ それがいいことかどうかはわからないが、とにかく彼は自分の意志で部屋を出た その後大学に無事現役合格したと聞いた
 
店は今も健在 もう年賀状でしかやりとりをしていないが、店長は元気みたい

俺の大学時代のいい思い出です


124:癒されたい名無しさん:2011/06/01(水) 02:51:33.36 ID:nUKBNmjb

小さいころ、親どうしが仲が良かったターくんという幼馴染みがいた。
大きくなったら結婚しようとか言ってよく遊んでた。
小学生高学年のころになると、異性と遊ぶということに抵抗を感じて、疎遠になっていた。
ターくんは両親が離婚し、中学にあがる前に転校した。
 
私は中学に入ったころからひどいいじめにあうようになり、もう毎日自殺を考えるほどに病んでいた。

田舎なので高校に進学しても、ほとんどメンバーは同じで、状況は変わらず凄惨ないじめは続いた。
 
一年の夏、突然ターくんが転校してきた。
 
お母さんが亡くなり、お父さんを頼り地元に帰ってきたようだった。
しばらく見ないうちに随分垢抜けていて、内心笑ってしまった。

でも、私はいじめられてる自分をみられるのが嫌で、ターくんのことを知らないふりをしていた。
ターくんも私に話しかけることはなく、忘れたのだろうなと思っていた。
ターくんが転校してきてから一週間もたったころ、いつものように昼休みにいびられているところにターくんが通りがかった。

ターくんはなにやってんだてめえら!
と怒鳴り、私といじめっこの間に割って入ってくれた。

私のこと覚えてたんだ、と本当に驚いた。
 
私は自転車置き場でこれまでのことを話し、もう人生でこれ以上ないんじゃないかってくらいに泣いた。
 
ターくんはポンポンと私の頭を叩くだけで、なにも言わなかった。

その後でいじめっこのリーダーの彼氏がターくんを呼び出した。
しかし、ターくんは中学で空手をやっていたそうで、いとも簡単にその彼氏や番格の二人を倒したそうだ。
程なくして、ターくんはヤンキーにも一目置かれるようになり、男子の中心的存在になった。私へのいじめはいつの間にか無くなった。

しかしその事件のせいで、ターくんは予定していた空手部の入部がふいになってしまった。
そのことを私は泣いて謝ったが、ターくんは、気にすんな、俺が空手をやってたのはお前を守るためだったんだな笑
といい、私の頭をポンポンと叩き、飲みかけのポカリをくれた。
 
その後、私とターくんは半年ほど付き合うこととなったが、些細なことで別れてしまった。

あれから10年以上経ったが、いまもいい友達として付き合ってる。
私は地元の大学に行き、そこで出会った先輩と結婚した。
ターくんは地元でお嫁さんとセレクトショップを開業し、
私は旦那と一緒に、たまにそこで買い物をしている。

ターくん、今私は本当に幸せです。
でもこの幸せはきっとあの時のあなたのおかげです。
本当にありがとう。
私があんなに泣いたのはあなたに話を聞いてもらったときと、結婚式のときだけです。
本当にありがとうね。


125:癒されたい名無しさん:2011/06/01(水) 23:19:42.69 ID:ZyV2dxLf

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、こんな手紙が届いた。
どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。
以下全文
Dear 未来の○○
元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。嬉しいぞ。
早速だけど、私はもう長くないみたい。仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。薬もだいぶ変わったしね。
だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな?笑
いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。
○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。私は大丈夫。向こうでイケメン見つけて恋するもんね!笑
そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~
私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな笑
生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!おばさん発想だな。
でもね、一つだけお願いがあります。
どうか私のことを忘れないで。どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。
私はもうお父さんもお母さんもいないから、、○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。それだけが怖いんだ。
何回かというのはね、
付き合い始めた日、幕張のレストランに海。
一緒に行った夏の北海道、あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。お棺にいれないでね、○○が持ってて。
○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ笑 卵焼き辛くて悪かったな
結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや笑
そして私の命日。多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。
この四つが私の思い出ランキングトップです!だから年四回でいいから思い出してね。お願いね。
○○が思い出してくれるとき、きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。
最後までわがままだね笑 ごめんなさい。
未来に向けて書くつもりが、なんかよくわかんなくなっちゃった。だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!
さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。時間かけて書くと長くなりそうなので、思いつきで書いたこの手紙で一発終了。
○○、今までありがとう。悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。
あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。幸せ過ぎてお腹いっぱいです。もう悔いはないよ。
○○の幸せをずっとずっと見守ってます。
未来の○○の笑顔を思いながら
△△より

ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ


最後まで注文ばっかだな全く
オレはまだ一人だよ
でも幸せだ この手紙をみて改めて実感した
オレ頑張るから、ずっと見ていてくれよ
ありがとう


129:癒されたい名無しさん:2011/06/06(月) 22:13:47.23 ID:UjBYGDIs

病院勤めしてるんだが、昼前にナースステーションで書類を書いていると、なにやらナースが騒いでいた
なにかあったのかと聞くと、廊下に犬がいると言う
そんなばかな、すぐに追い出せよ! と廊下に出ると、確かに犬がいた
それも家の飼い犬のメンメンだった
俺の姿を認めると、尻尾を振って嬉しそうにこちらを見ている
なにがなんだかよくわからず、一瞬混乱したが、とにかく捕まえなきゃとしゃがんでメンメンを呼んだ
しかし、いつもなら飛び付いてくるメンメンが動かない
こちらから近づくと尻を向けて逃げてしまった
慌てて後を追ったが、角を曲がったところで忽然と消えてしまった
先は行き止まりだし、病室のドアは空いていない ほんとに幻のように消えた
その場に居合わせた全員あっけにとられたが、とにかく病棟全体を捜索し、警備員にも頼んだのだが、メンメンは見つからなかった
ふと嫌な予感がし、仕事の合間に携帯をチェックすると、母からの着信が何件もあった
やはり、メンメンの訃報だった
俺がメンメンを見たほぼ同じ時刻、散歩中リードから抜けると、そのまま道路に飛び出したらしい
俺は色々な意味でショックを受け、その日はそうそうに切り上げ早退した
驚いたのは家に帰ると、一人暮らし中の姉まで帰ってきていたことだ
姉は夜勤明けで眠りに着いた直後、メンメンの夢を見たらしい
やはりメンメンが尻尾を振ってこちらを見ているので、近づいたらそのまま逃げ、消えてしまったという内容 そして母からの着信で目が覚めたとか
それまで霊現象など信じていなかっただけに、人生観を根底から揺さぶられた
そして最期に挨拶に来てくれたメンメンの律儀さに泣いた

目撃した人はみな線香をあげに来てくれ、メンメンはうちの職場ではちょっとした有名人(犬?)になった

しかしメンメンよ、挨拶に来てくれたのは嬉しいが、ちょっと目立ちすぎだよ笑
でもありがとうな 天国では大好きなチーズいっぱい食べて、いっぱい遊ぶんだぞ さよなら


130:癒されたい名無しさん:2011/06/08(水) 00:56:41.62 ID:QQv+R1fF

>>129メンメン可愛いなあ…きっと愛されて育ったんだね…

病院つながりでわたしもひとつ。
わたしの旦那の兄が癌を患ったのだが、私しか普段病院に通える身内がいなくて、洗濯物なんかの世話をしていた。
わたしも同席したのだが、もう手の打ちようがないとこまできている、と告知を受けたときの彼の最初の言葉。
「ああ、そうですか…家内には先生から伝えてもらえますかね…
あいつ気が弱いし、多分オレから言ったら一生忘れられなくなっちゃうな…
娘もまだ小さいし、先生ならこういうの慣れてますよね…なんとか先生からうまく言ってもらえますか…
できるだけショック受けないように…
あと、検査も一通り終わりで手術しないのなら退院して通院でなんとかなりませんか…
仕事の話ですいませんが、オレのチームはオレ以外まだ若手ばかりで、どうにもなんないんですよね…
オレがいるうちに誰か代わり探して引き継ぎしとかなきゃな…
あいつらまだ若いし、失敗させたくないんですよ…
実家にも帰らなきゃな…土地でもめてるんですよ…オレがなんとかするって言ったきりで…すこしばかり遠出できませんかね?
ああ、結婚式の幹事もやるんだった…もう幹事なんて歳じゃないんですが、学生時代の親友なんで…」
と、まわりの人のことばかり気にして、自分の病状なんて二の次みたいに。
わたしのほうが泣いちゃって、
「そんなことどうでもいいじゃないですか!それよりこれからどうやって治療するかのほうが大事じゃないですか!」
と言ってしまった。
「ああ…ごめんな、でも~ちゃん、~(旦那)は忙しいし、親父はあの通りだし、多分~ちゃん大変になっちゃうかもしれんが、頼むな
オレの地元の友達に葬儀屋いるから、そいつに言っておくから」
なんて調子でした。

結局やり残したことや、自分の墓の手配までこなして、苦しむこともなくあっけなくいってしまった。
一通りやりとおしたあと、家族でゆっくり過ごしている彼は幸せそうでした。
なんというか、律儀すぎる人でした。
死の淵に立たされてまで、それでも最期まで周りの人に気を配りながらいった義兄に尊敬の念を抱かずにおりません。
長文失礼しました。


132:癒されたい名無しさん:2011/06/13(月) 01:24:16.83 ID:K0eMPv04

オカルト板なのか迷ったけど、メチャメチャ泣いたのでここに書かせてください

旦那が逝って3年になります
今日、マンションの階段を降りていたところ、突然耳元で

危ないよ

と声がしました
間違いなく旦那の声
でも回りには誰もいませんでした

ふと我に返ると、
足元にツルツルしたビニールのゴミが
全く気づきませんでした
もしかしたら足を踏み外してたのかな

見ていてくれたんだな、と思うともう涙が止まらず、しばらくそこから動けませんでした


134:癒されたい名無しさん:2011/06/15(水) 12:05:24.66 ID:8aHvvNrS

父親のいない6歳の娘にとって祖父ちゃんがお父さんがわり。
その祖父ちゃんと遊園地に二人で行ってきた思い出の写真ができあがった。
その写真を私はパラパラ見ていると1枚の写真に目が止まった。

ちょうど遊園地に行った日は七夕で、娘が笹の葉に短冊を取りつけてる様子。
どうやら二人でお願いごとを書いたらしい。
そして写真にうつった短冊をよく見てみると
じいちゃんたばこやめますと拙い字で一生懸命書かれてあった。
そしてその横に書いてある大人の字に目をやると
みいちゃん(私の娘)が幸せになれるようにと大きく書かれそのすぐ横に
じいちゃんは頑張る!と小さく書かれてあった。


135:癒されたい名無しさん:2011/06/21(火) 23:26:26.79 ID:s/5CjZW7

六歳になる息子が、TVを観た影響で、何やらホラー系のゲームソフトを欲しがり、ずっとねだっていた
子供にはあまりよろしくない内容かなと、買い渋っていたのだが、
一月半に渡るおねだりに根負けした旦那が子供の日のプレゼントとして買ってきた
喜び勇み、ゲームに励む息子
まあ下手くそなりに、興奮しながら没頭していた
しかし、四歳になる娘が画面に写ったホラーシーンに驚き泣き出してしまった
泣きわめく娘の姿を見て興がそがれたのか、黙ってゲームをやめてしまった
子供たちが寝静まったあと、台所のゴミ箱に捨てられているゲームソフトを見つけた
あんなに欲しがっていたのに、、妹にショックを与えるようなゲームは出来ないってことかな、、
いつのまにかおにいちゃんらしくなっちゃって
妹思いの健気な行動に、思わず涙ぐんでしまった

翌日から息子はそのゲームの話は一切しなくなった
旦那はあんなに欲しがってたのになんだよもう、、とすねていたが

ゲームは拾ってとっておくよ
二人が大きくなって楽しめるようになったらまたやればいいんじゃないかな

立派なおにいちゃんになってたんだね


136:1.:2011/06/24(金) 20:00:12.69 ID:LAI+ORrf

ROMってた俺が来ましたよっと。
初書き込みなんで、無礼あったらすみません。
かなり長いです。自分語りウゼーと思ったらスルーで。

うち、元々は何でもない普通の家族。
父親が単身赴任。弟は軽度の障害持ってるけど、そんなの気にならず毎日幸せだった。
何時からのことだか、両親の仲が悪くなってさ。
不況騒がれる時代。定年近い父の給料も大分下がって。
子供の俺等もふんいき(ry感じてて、少し怯えてた。
以前より母親がずっと厳しくなった。
些細な事に思えた事でも急に怒られて、殴られて蹴られて罵られた。
肉親に料理下手な俺の失敗作ののびたラーメンぶっかけられて死ねなんて言われりゃ嫌んなります。
今まで生活支えて優しくしてくれた親父に向かって縁切れ死ねって言わされりゃ泣き狂います。
いくら内緒で会社辞めてたってね。まさかこんなん予想してなかったわ。
肉親に死ねって言われた人の話聞くように、確かにこれ、つらい。
でも、肉親に死ねって言うのもつらい。なんで言わなきゃならん。
ババア何から何まで細かいからな。縁切るならすっぱり切りたかったんだろな。

離婚。専業主婦だっだ母と、子供二人。弟は成長真っ盛り、俺私立の学校。
大変だって理解してる。いきなり社会に放り込まれて生活一人で支えてかなきゃなんねーもん。
家事は俺がやることになった。状況分かって嫌々乍こなしてた。
親と一週間位顔合わせないこともあった。夜勤だからな。昼夜逆。
話す時間全然無い。顔合わせたと思ったら大抵何かで怒られる。
驚く程潔癖だったみたいでほんの小さな埃見つけただけでずっと説教。
俺は俺なりにやったつもりなのに。
幼児じゃあるまいし結果が全てっていうのに反論も出来ず。
母には何時も反論の隙が無かった。俺が馬鹿ってのもあるけど。
第一志望で入って毎日楽しく通ってた学校も、勉強する気力無くてサボりまくった。
った。

続きます


137:2.:2011/06/24(金) 20:01:29.30 ID:LAI+ORrf

大晦日位だな。親にまた怒鳴られて、殴られてる内とうとう我慢出来なくなった。
俺って自己中だ。俺と弟の為に死にそうな位働いてるのにな。
でも、当時は自分のことで精一杯だった。
一人で適当に荷物まとめて寒いから軽い毛布持って家飛び出した。
家出だな。家出って無計画にするもんじゃないな。子供に生きる力無いって分かったよ。
毎年初詣行ってた正月も、ささやかだけど祝って貰った誕生日も、其処ら浮浪して過ごしちゃったよ。

家を出てから二週間位、殆ど公園の水だけで過ごした。
ある夜中に、空き地の奥で毛布に丸まって寝てたら起こされた。警官だった。
補導→確実に家に連れ戻される!と思ってていっそ舌噛んで死ぬかとかヘタレな癖に真面目に考えてた。
警察署へ。事情聞かれてマジでヤヴァイと震えてた俺の所にわざわざうどんとポカリ持ってきてくれた。
久々の温かい飯。それが嬉しくてうれしくて。
ホントは食いたかったけど、縮んだ異が痛くて食えなかった。
暫く食ってないと歯って痛むのな。使ってないからなまったって感じ。
そして、車に乗って向かった先は児童相談所だった。
来た時、吃驚したよ。皆無言でシーンとしてて。
一時的とはいえ共同生活なんだから、少しは喋るんじゃないのかと。
私語一切禁止。ビビったわ。刑務所なのか此処って思った。
あくまで場所が決まるまでの生活の場に偶然居合わせた同居人、私語によって個人情報流出して今後に何か起こったら困る。
って理由分かってからまた二週間位児相で大人しく生活。
ほんと、ささいな目標無いと生きてる気がしないね。
早くこの機械的な生活から抜けたいって。
でも此処の先生達は凄く力になってくれて、先生居なかったら今の俺死んでた。
これからどうするのか、全然願望ない怠けた俺の為に色々考えてくれた。
13歳のハローワーク、あれナメたら駄目だ。18歳が読んでも良いんじゃね?



138:3.:2011/06/24(金) 20:02:41.41 ID:LAI+ORrf

急に、ほんと急に退所。直前に知らされた。吃驚。
どうやら養育家庭ってのに行くらしい。
緊張するなか着いたのは、たまーに行ってたスーパーの近所だった。
鰻屋に入ってくから何!?と思ったら、それ営業してる人ん家がこれからの住まい。
子供も数人居て、食卓は皆で囲んでるしでめっちゃビビってたけど、
新参者の俺をまるで前から居たかのように接してくれて、これから此処の一員なのかって感じて。
一度泣かされた?ことがある。
来たばかりのことだけど、束縛から解放された感じでもう何もしたくなくて。
身の回りの始末すら怠って死んでたら、これはどういうことなんだって怒られて。
嗚呼、俺馬鹿だから誰にだって怒られるしかない人間なんでなって。
何言われてもだんまりきめこんでた。
そしたらさ、次に言われたのが暴言じゃなくてさ、
何か悩みあるなら言いなさいって。一人で溜めるなって。
悩み?はあ?別に無い・・・て思ったんだけどさ。
何か分かんないんだけど、泣けてきちゃって。何でだか分かんないけど。
夜中に声あげて泣いたよ。迷惑だろうに。久しぶりに痛み以外で泣いたよ。
一気になんかがこみ上げてきて、もう嵐のようにぶちまけた。
毎晩親に追い出される夢を見ること。
残してきた弟が心配なこと。
皆将来の願望あるのに全然浮かばないこと。
学校で先生の悪口聞いてつらいこと。この先生、恩人だから。
無口無愛想な自分がこの家で疎まれてないか心配でたまらないこと。
今までの自分では有り得ない位話した。
背中をさする手が温かいなんて感じて、家出してた時みたいに一人じゃないって分かった。
ひとりじゃないって、これ最強だな。これだけで強くなれる気がする。
未だに呼べてないけど、何時かはお父さんお母さんって呼ぶつもりだ。


139:4.:2011/06/24(金) 20:04:12.00 ID:LAI+ORrf

遡るけど、うち、学費滞納してて。私立だし生活で精一杯だったから。
児相居た時、転校か再受験かって言われて。今の学校に通うのはきついって。
嫌だった。周りに盛り上げてくれる友人が居ないっていうのはつらい。
学校自体凄く俺に馴染んで楽しかったし。半ば諦めてた。でも、結局元の所に復帰。
学校の先生が助けてくれたんだ。
試験一週間前に復帰した俺が単位取れるように放課後俺だけの為に教えてくれた。
滞納した分は気にしなくていいって、なんと立て替えてくれた。
ほんとに感謝やら恥ずかしいやらで半ば挙動不審の俺にもっと胸張ってなんて励ましてくれて、言葉に出来ない。言葉に出来ないことってあるんだな。
先生のご恩は絶対忘れない。何があっても生きてやるって決めた。

自分で言うのも何だが、俺の友人達が友人であること、誇りなんだ。
普段は常識から逸脱してボケるし羽目外すしでまともな人間は居ないけど、
でも俺が凹んでたら察知してくれて、親身になって聞いてくれる。
隠し通すのが苦手だから、引かれるの覚悟で言ってしまえ!
ってことで俺の今の身の在りどころ、過去の話洗いざらい話した。
そしたらさ、対して吃驚しないの。
‘前からなんとなく感じてた、直感ナメんなよ’
ってそれなんの超能力だよ。
‘何時でも何でも話してくれていいんだよ、また学校来てくれて良かった’
っておまいはあれですか、むっつりの俺の泣き顔が見たいんですか。
‘気付いてあげられなかった、御免’
‘家を自分から出られたって凄いこと、本当に良かった’
おまいはホント会った時から俺のツボ突いてきて泣かせようとするよな。今度鰻たらふく腹に詰めてやるからな、覚悟しろ。


140:5.:2011/06/24(金) 20:05:04.60 ID:LAI+ORrf

家を飛び出して彷徨ってた時は、こんな幸せに生きてるなんて、そもそも生きてられるのかとか考えてた位だしこんなに恵まれるなんて思ってなかった。
こんな何の取り柄もない居ようがいまいが大した違いのないような俺。
そんな俺は、何人の人に救われたのだろう。
警官、児相の先生、里親と子供達、学校の先生、友達。まだまだ沢山。
照れ臭くて中々言えないけど、
本当に感謝してます。ありがとう。
ガサツで才能の欠片も無いけど、死ぬ気で全力で生きます。それが俺の目標。試練。

それから、弟。
俺の弟として生まれてきてくれてありがとう。
周りとちょっと違う形でずっと生きるのは大変だろ。それでも頑張って言葉を覚えて勉強して人と関わろうとしてる姿、家族として一生の誇りです。暫くは会えないが、大きくなったおまいを見るの、楽しみにしてる。こんな俺が家族で御免。

血の繋がった両親。
最後はこんなろくでもない別れ方になったけど、でも小さい時二人に甘やかされて育てて貰ってたのは覚えてないだろうなんて言ってたけど、実はなんとなく覚えてたりするんだよね。反抗期とかで沢山迷惑かけた。御免なさい。
生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。
これからは里親さんに世話になるけど、二人から教わったこと、忘れず守ることにする。


すっきりした。もし此処まで読んでくれた人が居るなら、ありがとう。
こんな何処の馬の骨とも分からん人間の自己満に付き合ってくれて。


唯一気掛かりなのが、弟が元々母の所で生活してたのが父の所に移されて、奴も児相に入るかもしれないこと。環境の変化に敏感だから、それが心配だ。


レスを使わせてくれてありがとう。ROMに戻るよ。


141:癒されたい名無しさん:2011/06/25(土) 13:03:03.30 ID:jpVbXkCy

>>140
読ませてもらった。
140とその周りの人に多くの幸せが訪れることを切に願う。